飛行原理の発明家「二宮忠八」

はじめに

ライト兄弟が世界で初めて動力有人飛行を
成功させましたが、
それ以前に動力飛行の原理を
確立していた日本人をご存知でしょうか。

その名は「二宮忠八。

二宮忠八

今回は明治から昭和にかけて活躍した
知られざる天才発明家をご紹介いたします。

飛行原理の発明から挫折までの半生

江戸末期、現在の愛媛県八幡浜市で
海産物商家の四男として生まれます。

10歳頃、カエデの実が落下する様子をヒントに
四枚羽の竹とんぼを制作するなど、
幼少期から発明家としての片鱗を見せます。

12歳の頃、商売に失敗した父が死去。

呉服屋写真館で奉公働きしながら凧作りに没頭。

忠八凧1

中でも空からチラシを配る「忠八凧」は
評判となりました。

忠八凧2

15歳の頃、叔父の薬屋で働きながら
薬、物理、化学を学び、
20歳の頃には測量の仕事で製図を学ぶなど、
発明の礎となる経験を積んでいきます。

23歳の頃、調剤手として陸軍に入隊

演習の帰りに昼食をとっていたら
残飯を狙って滑空するカラスが現れ、
その姿から飛行原理を着想します。

25歳の頃に「カラス型模型飛行器」を作成。

カラス型模型飛行器(二宮忠八)

動力はゴムで、四枚羽のプロペラと
3つの車輪を搭載し、3メートルの滑走後、
高さ1m、距離10mの飛行に成功しました。

続けて、人が乗れる飛行器の開発に着手します。

プロペラは船のスクリューやトビウオのヒレをヒントに。

翼は玉虫のハネ構造をヒントに
大型模型「玉虫型飛行器」を作成します。

玉虫型飛行器(二宮忠八)

この模型から、人を乗せて飛ぶためには
・さらに6倍の大きさが必要であること
強力な動力エンジンが必要であること
を確認しましたが、
エンジン開発は莫大な資金が必要になるため頓挫しました。

28歳の頃、日露戦争で出征。

その経験から、飛行器の必要性と動力エンジンの調達を
上官に4度もお願いしますが、すべて却下。

軍を退役し、自力開発の資金調達のために
大阪製薬(現、大日本住友製薬)に入社します。

36歳の頃、精米所の石油発動機に目を付けて
精米所ごと買い取り、開発を本格化。

しかし、その直後。
新聞にライト兄弟の初飛行を知らせる記事が掲載。

ライト兄弟が開発した「ライトフライヤー」の復元模型

ライトフライヤー(復元模型)

それを知った忠八は開発を断念。
自らハンマーを振り下ろし、製作中の飛行器を破壊しました。

その後の半生

飛行器開発は諦めますが、薬品研究で才能を発揮します。

中でも、二宮舎利塩という薬が表彰を受けるなど、
薬の品質改善に尽力します。

社内でも功績が認められ、
武田薬品創業者・武田長兵衛
塩野義製薬創業者・塩野義三郎
などと共に取締役に就任

常務取締役に就任後、48歳の若さで退社します。

その後、かつての上申書が陸軍航空本部で認められ、
感謝状が送られます。
また、当時の上官だった長岡外史衆議院議員
忠八に謝罪しました。

晩年は私財を投じて京都府八幡市飛行神社を建立。

飛行神社(京都府八幡市)

飛行神社(京都府八幡市)

神主として空の安全を祈願し、
70年の生涯を全うしました。


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