一攫千金を願って「金持神社」へ!(鳥取県日野郡)
ところで、なぜ『金持神社』と呼ばれるようになったのか
単純に名前に惹かれて参拝した管理人も
現地の駐車場横に建てられた石碑を見て知りました
石碑の内容を要約すると以下のとおり。
“ここは古代から鉄の生産が行われ、その原料となる金(砂鉄)が
たくさんあったことから「
また、ここを治めていた藤原一族が「金持」という苗字に変えて「金持党」を設立。
鎌倉時代初めに鉄生産の力を背景に勢力を拡大させるが
内乱に負けてこの本拠地も失う。
その後、この地は「かなじ」「かねもち」などと名前を変えた。”
ということらしいです。
つまり、「金(砂鉄)を持つ土地」から「かもち」となったようで、
いわゆる「金持ち」とは違うようです
のどかな田園が広がる「金持」の風景
また社伝によると、「出雲国薗妙見宮(現在の島根県長浜神社)」の神官の次男が
伊勢神宮へ参拝する際にこの地を通りがかった時、
お守りで持っていた石が急に重くなり、夢で宮を造るように言われて、
宮造りをしたのが始まり(810年頃)とされます。
その後、「村社」とされていましたが、
明治時代にここの地名から『金持神社』と改名されました。
その後、「宝くじに当たった」とか「商売がうまくいった」という人が
多数いるというウワサから、金運のパワースポットとして参拝者が増えたそうです。
ただ、鳥取県は日本で最も経済規模の小さい県
地元の人に「最も貧乏な県の『金持神社』って御利益あるの?」って聞いたら、
「みんなにお金をあげて貧乏になった。。。」と自虐で返されました
そんな『金持神社』の駐車場はコチラ。
お礼参りなのか、高級外車で参拝される方も。。。うらやましい~
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