大坂城の出城「真田丸」周辺をぶらぶら(大阪市)

堺雅人さん主演で放送中の大河ドラマ「真田丸」ほっとした顔

タイトルの「真田丸」とは大坂城の南東側にあった出城のことで、
大坂冬の陣の時に徳川勢を迎え撃つにあたり、
城の弱点とされた南側を守るために真田信繁(幸村)が築いた要塞です。

※右下の半円状になった堀に囲まれた所に「真田丸」と表記されたものが残っています。

大坂冬の陣「陣形」

※拡大

大坂冬の陣

真田丸のすぐ下に記載されている「越前少将」は
二代将軍「秀忠」の兄「結城秀康」の息子で越前福井藩「松平忠直」のこと。

以前、『松江城』の回で紹介しましたが、「松平忠直」の弟で、
のちに松江藩主となった「松平直政」もここに陣取っていたのでしょう位置情報

さて、「大坂冬の陣」は大坂城の外堀を埋めるなどの和議で終了します。
しかし、「真田丸の戦い」で真田信繁が徳川軍を翻弄するなどの活躍がありました指でOK

真田軍は加賀藩「前田利常」率いる軍を挑発し、
「真田丸」の城壁まで誘い込んで銃撃を浴びせ、大きなダメージを与えましたどんっ (衝撃)
また、前田軍の戦いを見て「松平忠直」率いる軍なども動いてしまい、返り討ちにしましたグッド (上向き矢印)

そんな戦いのあった「真田丸」は、現在でいうところの
JR大阪環状線「玉造駅」の西側付近とされ、
「興徳寺」というお寺の近くに記念碑が建てられています。

真田丸跡地

「興徳寺」は元々、聖徳太子が薬師院として創建し、
大坂夏の陣が終わった後に伊勢亀山藩主だった「松平忠明」が
現在の場所に「興徳寺」として再建されたとされます。

真田丸跡地の興徳寺

隣には「真田信繁」とその息子「真田大助」の冥福を祈るために建立された
「心眼寺」があります。

真田丸跡地の心眼寺


ブログの検索


2024年11月
« 7月  
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930