戦国時代の名城「松本城」

はじめに

戦国時代の名城「松本城。

松本城(本丸)

国宝指定の英姿颯爽な天守は人気の撮影スポットで
松本観光に欠かせない名所です。

今回は文化財を多く収蔵した天守など、
松本城」の魅力を簡単にご紹介します。

1.松本城の歴史

元々は「深志ふかし」と呼ばれ
信濃守護家・小笠原氏が永正年間(1504-1520年)に
築造したのが始まりとされます。

1550年に武田信玄によって落城しますが
武田家滅亡後に小笠原氏が奪還。

松本城」と改名されます。

1590年、家康の配下になった小笠原氏に対し、
警戒した秀吉が討伐。

その結果、小笠原氏は関東へ移住。

代わって石川数正・康長父子が入城し、
関東の徳川勢を監視する目的で再築城します。

松本城(本丸)

現存する天守はこの時(1593-94年頃)に
築城されたものと考えられています。

豊臣家滅亡後は松本藩の藩庁となり、
戸田松平家が代々治めますが、明治維新後に競売となり、
地元有志によって保存されました。

1930年に国宝指定され、現在に至りますが
国宝天守5城(他、姫路城犬山城彦根城松江城)の中では
2番目の古さになります。
※1537年築造の犬山城が最古

ただし、戦国期に建てられた
現存天守としては最大となるため
戦国ファンに人気の名所となっています。

2.太鼓門枡形

そんな歴史のある「松本城」ですが、
今回は本丸の東側、外堀に設けられた太鼓門から
入城しました。

太鼓門・二の門
松本城・太鼓門

太鼓門・一の門
松本城・太鼓門

手前に二の門、奥に一の門

その間に枡形(四角い)空間と
太鼓櫓(太鼓で時を知らせる櫓)が併設され
太鼓門枡形と呼ばれています。

枡形門は戦国期に編み出された築城技術。

枡形エリアに敵を誘い込み、動きを止めて
周囲の櫓から弓や鉄砲で反撃するための防衛施設です。

現在の天守と同時期に築造されたと考えられますが
明治維新直後に撤去。

その後、長らく放置され
平成3年から始まった発掘調査の後、
現在の形で復元されました。

3.高麗門と黒門

太鼓門をくぐるると内堀奥にもう一つの門が。

二の門・高麗門
松本城・高麗門

一の門・黒門
松本城・黒門

松本城・黒門

太鼓門と同じ造りで、手前に二の門
奥に枡形空間と一の門があります。

共に平成2年の復元で
二の門は高麗門、一の門は黒門とも呼ばれています。

この門より奥は有料。
天守内部の見学も含めて入場料・一般700円です。

4.本丸庭園と天守

黒門を通過すると本丸庭園の奥に
大天守(中央)
乾小天守いぬいこてんしゅ(右)
渡櫓わたりやぐら大天守乾小天守の間)
辰巳附櫓たつみつけやぐら(左奥)
月見櫓(左前)
が迎えてくれます。

松本城(大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓)

松本城(大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓)

大天守乾小天守いぬいこてんしゅ渡櫓わたりやぐら1593-94年頃の築造で最も古く、
辰巳附櫓たつみつけやぐら月見櫓は江戸初期の建造になります。

手前の本丸庭園には城主の居住エリアと政務を行う
本丸御殿がありましたが
江戸中期に焼失し、芝生の庭園となっています。

大天守から見た本丸御殿跡(黒瓦で囲われた部分)

松本城・本丸御殿跡

続いて天守内部。

松本城(辰巳附櫓、月見櫓)


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