大政奉還の舞台「二条城」(京都府京都市)
JR京都駅周辺や四条河原町など、京都の繁華街から北西に位置する「二条城」。
御存知の通り、1867年に江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が
「大政奉還」を行った地として有名ですよね
ここで、265年間続いた江戸時代が形式上の終焉を迎えます。
二条城は元々、徳川家康が京都御所の守護と徳川家上洛の際の
宿泊所として造営されたものです。
大阪冬の陣・夏の陣の時は徳川軍の拠点となった場所でもあります。
1626年、三代将軍・徳川家光の時代に現在の城の規模に拡張されます。
この時に作られたとされる重要文化財「唐門(からもん)」は、
最近修復されて眩い光を放っています
「唐門」をくぐると国宝「二の丸御殿(上記写真)」がお目見え
建設当時のまま残っており、大政奉還はこの中で行われました。
二の丸御殿内部は撮影禁止のため、実際に行かないと見ることはできませんが、
簡単に説明しますと、御殿の入口から「遠侍」、「式台」、「大広間」、「黒書院」、
「白書院」の順に部屋が並んでいます。
一番手前の「遠侍」は来殿者の受付場所となる「柳の間」、大名の控室「一の間~三の間」、
朝廷の使者を迎える「勅使の間」があります。
その奥に「式台」と呼ばれる場所は老中の控室や老中と大名が対面する間になっています。
さらにその奥に「大広間」があり、将軍と諸大名が対面する場所になっており、
大政奉還が行われた所でもあります。
更にその奥に「黒書院」があり、将軍が親藩や譜代大名と応接する間となっております。
そして、一番奥の「白書院」が将軍の居間と寝室となっています。
各部屋を繋ぐ廊下は「うぐいす張り」になっていて、
歩くと床がわずかに沈んで音がなります
また、各部屋の障壁画は将軍家の御用絵師「狩野探幽(かのうたんゆう)」を中心に、
狩野一門が描いたたもの。
御殿にはそのレプリカが配置されており、オリジナルは別の場所に保管されているようです。
御殿を出て、裏側の日本庭園「二の丸庭園」へ。