特攻隊の記憶「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)

2006年に発売された百田尚樹氏の小説「永遠の0」が大ヒットし
映画化やドラマ化されたのは記憶に新しいと思います。

今から70年前の第二次世界大戦末期、
片道分の燃料を積んだ戦闘機でアメリカの艦隊に体当たりする特攻隊が編成され、
特に沖縄地上戦が始まる1945年4月から終結する6月までに
多くの特攻隊員が出撃しました。

その犠牲者は1,036名で、特に本土最南端にある「知覧特攻基地」から
439名の方が戦死したとされています。

現在、その基地跡に「知覧特攻平和会館」として、その記憶が残されています。

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館内には特攻で亡くなられた方の遺影や遺書、遺品が収められ、
また、海底から引き上げられた零戦や映像資料などが公開されています。

館内撮影禁止のため、外から撮らせてもらった零戦。

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私が訪問したのは5月3日。
毎年、この日に開催される「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」は今年で61回目。
朝から激しい雨が降る中、全国から多くの遺族が参列されていました。

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その遺族の方々が館内に展示される遺影に触れ、手を合わせながら
「来年もまた来るから」と声を掛けられてたのが印象的でした。

館内中央部には、日本を代表する山「富士山」の形に似た「開聞岳」の写真が掲げられ、
特攻隊員が沖縄へ向かう際、本土最後の姿を見納めするために
何度も振り返ったとされる山です。

南九州市頴娃町の「番所鼻公園」から望む「開聞岳」

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