国宝「松江城」を散策!(島根県松江市)
松江藩は3つの時代に分かれます。
まずは創成期。
豊臣秀吉や徳川家康の側近として仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が
関ヶ原の戦いで功績を上げて、出雲・隠岐を治める松江藩の大名となりました。
松江城入り口にある「堀尾吉晴」像
初代藩主を息子の忠氏(ただうじ)とし、月山富田城(がっさんとだじょう:島根県安来市)を
拠点としました。
しかし、とても不便な場所だったため、現在の松江市に移転することを決定。
ところが、藩主・忠氏が1604年に27歳の若さで死去。
その息子・忠晴(ただはる)は5歳だったので、
隠居していた父・吉晴が後見人として事実上の藩主となる。
そして、1606年から築城開始、1611年に完成するも、その直前で父・吉晴が死去。
その後、吉晴の孫・忠晴は跡継ぎに恵まれず、
若狭国の京極忠高(きょうごくただたか)が松江藩主になります。
これが2つ目の「京極家時代」と名づけましょう。
ところが、藩主になって3年後に死去。跡継ぎがいなかったため、
二代将軍・秀忠の兄・秀康(越前松平家)の三男・松平直政が藩主となります。
これが3つ目の「越前松平家時代」で、
江戸時代が終わるまで越前松平家が福井藩とともに松江藩も治めることになります。
そのような経緯から「葵」の御紋が描かれた品が数多く残され、展示されています。
ちなみに、松平直政は14歳で大坂冬の陣に参加し、真田丸で敵将・真田信繁(幸村)と戦い、
その武勇を讃えられて軍扇を投げ与えられた伝説があり、その扇も展示されています。
また、大坂夏の陣では兄・忠直に従って共に軍を率い、
真田信繁など多くの武将を討ったことで知られ、
今回の大河ドラマ『真田丸』でも登場するかもしれませんね
その他、松江城を中心としたジオラマが年代ごとに展示されているコーナーがあります。
下写真の本丸右手にある小高い丘はお城まで続く尾根になっていましたが、
築城時にその尾根を削って内堀を通す大工事が行われたそうです。
(ブラタモリで知りました)
また、ハートマークの木目がある柱がどこかにあるので探してみてはいかがでしょうか
「カップルや家族で想い(木目+心=想)をこめて触れると、より絆が深まる」らしいです
ちなみに、柱にホッチキスの芯のようなものが埋め込まれていますが、
これは「鎹(かすがい)」と呼ばれるもので、板をつなぎ合わせるための金具です。
板の内側に構造柱があり、その柱に割れ目があって見栄えが悪いので
目隠しの板「包板(つつみいた)」を貼っているとのこと
階段を上がって最上階へ
この階段は防火・防食のために桐で作られていて、松江城の特徴のひとつです。
(階段を綺麗に撮ったものがなくてスミマセン。。。)
最上階に到着
小高い山の上に築城された天守閣の最上階からは松江市内や宍道湖が一望できる
最高のロケーション
鳥取の名峰「大山」も見えるらしいのですが、残念ながらモヤってて見えませんでした
ということで、松江城の天守閣のご紹介でした
ついでに、天守閣の周辺の見どころも簡単にご紹介しておきます